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1月, 2024の投稿を表示しています

相棒 season 22 #12 感想「序章にしても脚本が棒すぎる。長いCMのような退屈さ」

ネタバレを含むかもしれない。  今回の話は、以前からのライバル、まさに相棒の真の敵が暗躍する事件であることは事前に知っていた。 そういったことからも、今回だけで終わる話ではないと思っていた。 最初はなんとなく面白い出だしだった。 しかし、小銭を袋につめた武器は、20年以上前に何かで犯行を隠しやすい武器として有名だし、監獄実験もだいぶ前に話題になったときに知っていた。 要するに時代遅れな、それでいて組み込みやすい右京さんを頭よく見させるようなキーワードでつなげただけの話だった。 しかも、序章のような扱いなので、すっきりとは終わらない。 期待するとしたら、どの程度謎めいて不気味めいて見えるかだ。 しかし、これも、先ほどのどこかで聞きかじったようなキーワードと、誰でも次が予測できる法則性を印象づけるだけの単調なものだった。 これでは前回の刑事ドラマとして楽しめた回よりもひどい。 亀山君の演技も、ちょっと調子に乗り過ぎていて、ホームレスに事情聴取するところはさすがにやりすぎて逆に相手をあおっているように見えて腹立たしかった。 亀山君ですら、昔の熱血漢で右京さんの嫌な部分は毛嫌いしたりする部分を忘れ、飼い主にだけ従順で他にはピエロのような振る舞いをするバランスに微妙に変わってしまい残念だ。監督もこれでいいとおもっているのが不思議だ。(あるいは監督よりも偉い人が現場にいて文句をいえないかもしれない。そんな話を別の名物ドラマできいたことがある)。 唯一おもしろかったのは、右京さんが「ピンポンしちゃまいしょう」といったような言葉を使ったところだったが、それすらも本当に面白いというよりは、右京さんらしくない言い回しだなと思ったからだ。 真の敵も、この開発スタッフ(ストーリーに口出しできる演者や出資者も含めて)で作り続けていくのならば、今の右京さんと同じように雰囲気だけでうすっぺらな役回りで終わりそうだ。 なんとか、 この話の流れだけでも以前の初期の作家陣に作ってはもらえないものだろうか 。 何度も初期の珠玉のミステリードラマを渇望したが、最近はブログに書いている通り、ミステリーではなく刑事が活躍するドラマとして楽しもうとしていた。 今回はそれすらもなかった。出だし5分で最期までが予想通りな退屈なCMでも見させられていたようだ。 刑事ドラマを作りたいという気持ちでやっているのかとも思っ

相棒 season 22 #11「昭和なノリの刑事ドラマとしてみると良作」

初期の相棒は私の中ではとてもお気に入りの作品群だ。 何度もいっているから省略するが、1時間の枠で古典なミステリーを昇華し、別の高みを見せてハッとさせてくれる痛快なミステリーだった。 しかし、最近、感想「 相棒 season22 #6「名探偵と眠り姫」 」の際にみさせてもらった刑事ドラマとして面白かった作品を見てから、相棒はすでに何年もミステリーとしてはやる気がないが、刑事ドラマとしてみれば楽しめるのではないかと思った。 今日も期待せずにみたのだが、刑事ドラマとしてみると面白いと思った。 捜査一課トリオがこの事件の間は協力体制になり、右京さん亀山君と共同で行動したり、ときにそれぞれ(はじっちも)の捜査情報を右京さんに集約するところなどは、昔の刑事ドラマの無線のやりとりを見ているようだった。 鑑識の人もキャラはよくわからないが、いい感じでなじんでいた。 ストーリー、謎解きとしてはありきたりだ。 しかし、雰囲気がよくできている。 今は昭和スタイルの刑事ドラマはあるのだろうか。あまりそちらに食指が向かないので無知なのだが、そういった意味では貴重な存在になろうとしているのかもしれない。 ただ、捨てられたにしては、そんなことを気にもしないくらい愛情が残っているものだなと(そういう人はいるだろう)思ったこと、そんなに探したいならそれこそ探偵を雇えばよいのにとか、あぶない代物を動機を語るシーンなどではみんな軽くもっているのが少し違和感はあったが、そういうのを看過して楽しむものに相棒はかわったのかもしれない。 私は悲しい話が嫌いだ。 だから動機を話すシーンはだいたい面倒に感じる。 「私の嫌いな探偵」(続篇希望!)の鵜飼さんは、そこらへんが似ていて、動機とか興味ないんで、犯人が捕まればそれでいいですっていうのが好きだ。 (まー、相方が動機をずばっというのも見どころなのだが) 今回もそうだった。 でも、そのあといつもの居酒屋(花の里のイメージが強くて名前がでてこない)で、ほんわかとみんなで話をしている様子をみて、寒い雰囲気をあたためて終わるのは、なにかはぐれ刑事旅情編の雰囲気を少し感じた。 もう、相棒は、こうなっていくんだろうなと思った。 こうなってというのは、本格ミステリーではなく、昭和の香りを持ちつつ現代版になった刑事ドラマのような方向だと思う。 役者の方からもそういうオーダーがあっ

生きてるだけで個性的な理由(レア度は異なる) 個性持論 2023

個性、アイデンティティを持てというアメリカ式の教育を、私も高校生の頃にうけた。 ほんの1時間~2時間程度の授業だったが、アイデンティティという言葉を覚えたのを覚えている。 ここからは、 2023 年まで生きてきた、平均的な生活を得られていない、それでいてありがたく生かされている、私の身勝手な持論だ。 個性が大事と自分探しにあせるのは多分10~20代までだろう。 そのあとは、個性なんて勝手に出るもの、良くも悪くも自動的に背中で語られるものと割り切るのではないだろうか。 気が向いたなら、私が最近きになっている(遅い)ボッチ・ザ・ロックの作中作の中で気に入ったものを聴いてほしい。 この歌詞の中にたぶん、「なりたいなりたい 何者かでいい」という歌詞がある。 恐らく、私が10代のころなどは「何者”か”」などという、勇者か魔物かもわからないような不確定なものになりたいとは思わなかっただろう。しかし、今は共感できる。 この話は、これ以上してもどうしようもないし、私にもよくわからないので省略する。 個性持論 2023 タイトルに書いた個性について、 2023 年まで生きた私の持論を書く。 個性は、今のあなた自身の総合的なステータスの形だ。 レーダーチャートを想像してほしい。 Google 検索結果の「レーダーチャート - Wikipedia」 より ゲームのステータスだと、力とか知性とか運などが入るが、リアルの人間は何万何億という項目があるだろう。 ツノがたくさんバラバラな長さで伸びた超巨大な金平糖のようなものかもしれない。 歴史の中には天才的な人がたくさんいる。 武将であったり、研究者であったり、商売人であったり、私が知らないジャンルの天才もいろいろいる。 仮にその人たちが、ものすごく長く伸びたとがった角を1~3個程度だけ持つレーダーチャートの個性だとしよう。 それは、ある時代にとっては尊敬されるものでも、他の時代では無用の長物かもしれない。 その人の人生のスパンでみた個性は上述した。 しかし、もっと大事なものは、時間経過とともに、それぞれの角の長さは伸び縮みすることだ。 例えば若者はだいたいが体力のパラメータが高いが、加齢とともに低下する。 人によっては、最初から少ない分、他のパラメータをのばそうとがんばっている人もいるだろう。 その一瞬一瞬のその人のステータスが個性なのだと思

相棒22 元日スペシャル 感想「出だしは本格風、後半はサスペンス」

相棒のスペシャルは今まで一度たりとも面白いことはなかった。 これはシーズン1から続く伝統といってもいい。(土曜ワイド時代は注目していた) そんな中、今回も33点程度の赤点スレスレな所感だ。 この後はネタバレがあるかもしれない。 今回の事件は、思わぬ人物の登場と、ミステリー演劇の最中に起きた事件という2つのインパクトのある要素があった。 1つ目のインパクトは、ダークナイトとして表舞台から消えた元相棒、カイトくんの同棲相手のCA。彼女が奔走される話だった。 これは、カイトくんの兄との交流がほほえましく、また演技も少しコミカルな感じがその人にあり、見やすいし、興味も出てくる。 2つ目のインパクトは、完全に私の趣味だが、ミステリー小説の中でもたまに使われる、作中作が舞台の殺人事件だった。 まぁ、作中作といってもホームズのストーリーを児童たちが演じるというものなので、作中作自体に犯人の意図はなく、まったくの雰囲気としてしか意味はなかったのだが、私はそういう雰囲気が好きだ。 もう少し作家がミステリーに傾倒して、さらに作中作自体に意味をもたせるようになってくれたらと思う。例えば、ホームズならば、タイトルを出して、この先の展開を暗示させる、あるいはそれでミスリードさせる、その程度のことはやってもらわないと残念だ。今回はそんなかんじの出来だ。 序盤に右京さんが得意げに犯人の移動経路をあかしていたが、あんなものは鑑識や他の刑事も現場にいればすぐに気づくようなものだ。 それを堂々と謎解きとして話している右京さんは、滑稽をとおりこして、痛々しく見えた。 (そして、これ以降、謎解きらしいものはない!悲劇だ!) 途中、何度かトリオ・ザ・捜査一課がでてきているときに思ったが、刑事ドラマ(純粋な謎解きではなく、刑事が足で稼ぐ時間を待たないと謎はとけないドラマを私はそう呼ぶ)ならば彼らがスピンオフでやったら、彼らのそれぞれの立場や個人の気持ちがこもったよい刑事ドラマが出来るのではないかと思った。 普通、このような2時間ドラマでは最初につかまったものは犯人ではなく、最後の20分あたりで真犯人が登場するのだが、今回は別の構造を持っている。 最初はミステリーじみた雰囲気と、人物の魅力でひきつけ、後半は謎解きよりもちょっとコミカルなアクションに変わるのだ。 要するにミステリーの要素がないのに、あるように見せ