前回は、自分の地元である山形県がでてきて、少し評価を高くしてしまった。
もちろん、地元が出たら、それだけ違和感にも気づきやすいので、「ヤロコではない」というセリフには、懐かしさも持ちつつ、違和感も持った。
「ヤロコ」は右京さんが解説するように男の子を指す。
しかし、それに準ずるならば「うちのヤロコでね」というような否定文も訛りでないと違和感を感じる。
しかし、この作品はそんなことや、沿岸部と山沿いで芋煮の味が違うことを調べていない不勉強さにがっかりしながらも、良いところがあった。
それは、ユニークな限定空間だ。
私は、嵐の山荘のミステリーが大好きだ。
そのジャンルで、しかも、亀山君と同姓同名の人たちが集うパーティというのが、設定としてよかった。
亀山薫君の名前が女性でも適合するのは、運命のいたずらなのか。
この作品は、サスペンスなどでたまにみていた羽野晶紀さんが出ていたことも、個人的にはポイントが高いかもしれない。
そして、地元の訛りをつかっていたことでさらにポイントを高めたのかもしれないと思った。
その理由のひとつとして、足首を見るシーンで、ある程度予測がついて、それが正解していたことがあげられる。
だけど、話としては嫌いではないし、それが地元訛りのえこひいきなのではという気持ちもありつつ、よい読後感だった。
そして、次の回で、もしかしたら脚本(よく知らないのだけど、お話を決める人)が変わったのではないかと良い意味で思った。
次の作品も、病院というある意味閉鎖空間で起きる事件。
しかも、ひま課長がいうように、安楽椅子探偵のようにふるまう右京さんと、それに協力したりふりまわされる人たちがなぞを解いて悪者から病院を守るという見やすくもドキドキする展開だった。
まー、ちょっと守る対象が間抜けすぎる感じはあるのだけど、刑事たちが右京さんを中心にそれぞれのキャラクターを生かして犯人を問い詰めていく展開は良いと思った。
断言するが、これは初期の第1,2シーズンのような、定石のトリックを斜め上にとびこえていく鮮やかさが売り物ではない!
それとはちがうが、昔でいえば、私も記憶があいまいだが事件記者チャボのような、複数の人たちが潜入して謎を明かすわくわく感に似ていた。
以前のブログで、ミステリーができなくなって、感情もので喜ばせる気ならばはぐれ刑事路線もよいが絶対にはぐれ刑事以上にはならないといったことを思い出す。
しかし、それよりも以前に作られて喜ばれていた路線が復活するのも、またよいのかもしれないと、勝手に偉そうに思った。
とても楽しく見させてもらいました。ありがとうございます。
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