プログラミングで、2D横スクロールアクションのキャラの動きを実装するコードを考えてたら、そのうち、調べたもの全てを混ぜた 万能クラス を作り出そうとしていることに気づく。 もちろん、そんなのを作る能力もないし、一番 問題 なのは、 具体的に作るものがわかっていないことに気づかないで走り出している ということだ。 記事を書いているときにそれに似たことで泥沼にはまり失速することもある。 例えば、あるクラスについて実際に使う過程を書いていたのに、それと同じカテゴリの全部のクラスについて説明を書こうとしはじめたときだ。 こういうときも、私が「これなら記事を書けるかも」と思い始めた 方向性 を 忘れている 。 私には、リファレンスや詳細な調査結果などの学術的?な記事を書くことはとても困難だ。 それにそういったことは他の人がだいたいやってくれている。 だから、 実践した足跡 を書いて、 似た何かを作る人のケモノ道が少しでも歩きやすくなるよう にちょっとでも踏み固めようという方向の記事だ。 これは逃げかもしれないけど、情報が氾濫する今のインターネットで新たに記事を書くモチベーションとしては、私にもできて、かつ少しでも有益性を感じられる重要な方向性だ。 それを忘れて、 学術的?なすべてを網羅する記事を書こうとすること は、今、 どのようなゴール に向かって進んでいき、その過程で 何を知りたいのか を 理解できていない で 迷走 している状態だと思う。 そういったときは、 一歩下がって 、 具体的 にしたいこと、そのために どのようなステップを踏めば良いか を 再確認 するべきだ。 何がわかっていないかを理解するだけでも時間がかかるときもある。 抽象的なイメージだけでは、具体的なものは作れない。 今日は記事をかけなかった。だから、そのときに思ったことを戒めとして、できれば、同じように万能なものを作り上げようと迷走している人へのひとつの回答として役に立てればと思う。
月9で昭和初年を舞台にしたドラマが出るとは、90年代には思いもしなかった 「嘘解きレトリック」は、嘘がわかってしまう女性と、売れないながらも名推理の探偵のコンビのミステリードラマだ。 最初に言っておくと、ミステリーとして最高だ!というわけではない。 しかし、ミステリーとしての気になる矛盾点がなく、見ている間も、見た後も心地よい気持ちになれる、 ミステリーファンの清涼剤 としては間違いなくここ数年で一番のドラマだ。 1話目のでだし3分は、嘘を嘘とわかってしまう少女やその家族のつらいシーンが出てくる。 ここで、つらい気持ちになるのをぐっとこらえると、心地の良い時間に入れるので我慢してほしい(たまに回想シーンはあるが数秒の我慢だ)。 昭和初年は、ポンプで家の前の井戸水をくんで生活して、テレビや広告のかわりにチンドン屋が街を練り歩くような、着物が似合う時代だった。 もちろん、今と同じく粗野なものもいる。 彼女は、奉公?のためか10代のうちに実家を出る。 そして、ある町で、行き倒れになる寸前に、仕事がない探偵と、その面倒見役のような警官と出会う。 彼女は、結局、食事を出してくれた料理屋のとなりの探偵の事務所に住むことになる。 ここからが面白い。 彼女は超能力ともいえる感覚で嘘を見抜く。そして、その料理屋の子供の小さな優しい嘘を見抜く。 それとは別に探偵は、観察力、推理力で、別の方向からその子供の違和感に気づく。 そして、人命にかかわる事件を二人で解決する。 また、彼女が嘘を見抜く能力で苦しんでいることを、鋭い探偵が優しく見抜きフォローしてうまくつじつまをあわせるところも見どころだ。 彼女の超能力のような嘘を見破る能力は、ミステリーとして異質ではあるが、それを包み込む良いストーリー・演出で、良いミステリードラマの素材としてうまく使われるのが、とても心地よい。 ※筆者が大好きな「麦酒の家の冒険」の著者の「神麻嗣子の超能力事件簿」シリーズも面白いです。 へたをしたら、こんなのオカルトまじりでミステリーではないといいかねない、設定だけれども、それをとてもうまくミステリーに昇華しているのだ。 少なくとも私はそう訴えたい。 そのあとに続く、資産家令嬢誘拐事件も、「この人が話していることは嘘です」というエフェクトでキラキラとその周りが光るので、嘘をついていることがわかるのだけれども、それ